2012年5月16日〜31日
5月16日  カーク船長 〔未出〕

 犬の影も言う。

「ヤヌスの方が調べたはずです。話はそちらで聞いてください」

「でも、見落としてることがあるといけないでしょ。お宅でちょっと話を聞かせてくれませんかね」

 しかし、ニコルソンが気短に手を振って断った。もじもじしてる犬のおしりが気になってしかたないらしい。
 おれは翌日のアポだけとりつけて、退散せざるを得なかった。

(やっぱり忍び込もうか)

 ヒマ人が見ていないかうかがった時、ふいに思い出した。
 ヤング! あの男だ!


5月17日 カーク船長 〔未出〕

「ヤングだ、犯人は!」

 翌朝、おれはアキラに訴えた。

 チャーリー・ヤングというやつは、前にカシミールにつきまとっていた客で、さんざん嫌がらせしたあげく、薬を飲ませて彼をドムスに引きずり込んだことがある。カシミールが今でも蛇蝎のごとく嫌っている男だ。

 そんな男があの家の向かいに潜んでいたのだ。玄関先からひょいと忍び込んで、かっさらって帰ったに違いない。

「ヤングの家に乗り込もう!」

 しかし、アキラの温度は低い。

「おまえは自分の仕事をしてくれ」


5月18日 カーク船長 〔未出〕

「イアンがヤヌスに詰めている。その辺のことはわかっている」

「じゃ、家捜し――」

 彼は首を振った。確たる証拠もないのに、お客様のお宅に乗り込んだりできないという。

「あれはアキラの保身だな」

 ニーノが嗤う。

「ヤングって客は、えらいさんの友だちでさ。客の間でもブイブイ言わせてるらしいんだよね」

 ほうほう。それならしがらみのないワタシが行くしかないでしょう。奪還して、カシミールに賞賛の目で見つめられるしかないでしょう。

 しかし、なぜかクリス・リッツがついてきた。


5月19日 カーク船長 〔未出〕

「なんで来るの。帰りたまえ」

「仲間の命がかかってるんだ。安穏とはしてられないだろ」

「いや、でも仕事が」

 メガネのサド目が嗤った。

「きみの考えはわかるよ。カシミールを救う白馬の王子になりたんだろ。だが、こいつは遊びじゃないんだ」

 乗って、とリムジンに押し込まれた。おれはしかたなく言った。

「一番乗りはおれだからね」

「いいよ」

 クリスはそっけなく言った。

「おれは助けたいだけだ。カシミールみたいなネンネはタイプじゃない。ただし、なついてくる者を拒みはしないが」

 なんだとう?!


5月20日 カーク船長 〔未出〕
 
 蹴り出したかったが、うまい口実が見当たらない。しかたなく、ともにヤング邸をたずねた。

「こちらでお待ちください」

 東洋犬がおれたちをアトリウムに通した。

 耳をすましたが、カシミールのもがく音は聞こえない。静かだ。蘭にまといつく蜂の羽音が聞こえるばかり。

 アトリウムはアジア風だった。応接セットのまわりに観葉植物や背の低い黒檀の家具が並んでいる。そこに、ヴィラのお宅ではめずらしく、家族写真がいくつか飾られていた。

「わお」

 クリスがひとつを顎でしめした。


5月21日 カーク船長 〔未出〕

 写真には、スーツ姿のおっさん数人と若い娘が笑顔で映っている。

 卒業式? 風で飛びそうな大学帽をおさえているが、長い髪がなびいて隣の中年の顔にヒゲみたいにかかっている。

「彼女ダレ?」

「そっちじゃない」

 クリスが示したのは、端っこに立つスマートな中年紳士だ。日焼けしたハンサムな顔のまわりに、ウェーブのかかった少し長めの髪が品よくふちどっている。映画スター? どこかで見たことあるような――。

「プラエトル(総督)」

 クリスはにが笑いした。


5月22日 カーク船長 〔未出〕

(うは)

 ングの知り合いのえらいさんとは、このヴィラのボス、プラエトルさまさまだったらしい。

 よく見ると、さりげなく嵌めている指輪が上級スタッフのやつだ。変わった結婚指輪にしか見えないが、あれはヤギ角デザインだ。

「やあ、お待たせ」

 さわやかなジーンズ姿の男が入ってきた。プラエトル様のお友だちヤングだ。

 育ちのよさそうな三十男。小麦色の肌。ジムで鍛えた筋肉。だが、グレーの目はあんまり上品ではなく、あちこちよく動くのが気になる。


5月23日 カーク船長 〔未出〕

「カシミールが帰ってこないんだって?」

 ヤングは面白そうに聞いた。

「恋人のところに転がりこんでるんじゃないのかい」

 こちらが答えないうちに、「とりあえず、わたしのところには来てないよ。お疑いかもしれないが」


「じゃ、家捜ししてもかまいま――」

 おれが言いかけると、クリスがキッとふりむく。

「こちらに伺ったのは」

 と彼はおだやかにつくろった。

「近所でなにか変わったことはないか、お聞きするためです。何か気づいたことはないでしょうか。たとえば、むかいのニコルソンさんとか」


5月24日 カーク船長 〔未出〕

「あそこは愛想が悪くてね」

 ヤングは鼻にしわをよせた。

「パーティーに誘ったり、何度も声かけているんだが、のって来ないね。ふつうのマフィアの連中は、人付き合いを大事にするもんだろ? つきあいたくなくたってくっついてくるのがマフィアだろ? でも、ダメ。けっこうイイ男なのに人嫌いなのかね。誰ともつきあわず、三匹の犬だけ相手にしてるよ」

「そういや、昨日も」とおれは言った。

「話しかけても目もくれませんでした」

「だろ。わたしなんか、握手だって無視さ」


5月25日 カーク船長 〔未出〕

 ヤングによると、マフィアのニコルソンは美形の三匹の犬をはべらせ、彼らに小間使いとボディーガードをさせ、水入らずで暮らしているらしい。

「つまり、密室ってわけだ」

 彼は人差し指をあげた。「なにか悪巧みをするには好都合な環境だ。あそこの犬は力持ちだし、主人に忠実だからね。よく調べたほうがいい」

 握手してもらえなかったのがよほどくやしかったのか、ヤングはやけにニコルソンのあやしさを強調した。
 それとも、自身から疑いをそらすためか。


5月26日 カーク船長 〔未出〕

 おれは聞いた。

「昨夜はなぜ、出てたんですか」

 ヤングは目をしばたいた。

「わたしか? 散歩だよ」

「おひとりで」

「そう。マーケットにアイスを買いにいってた」

「わんちゃんに買いにいかせず、ご自分で?」

「健康のためだよ。やつにいかせるわけにいかんだろう」

 自分で言って、笑った。おれがなお聞こうとするとクリスが派手に咳払いした。

「その際に不審な男は見ませんでしたよね」

「見なかった。いや、見た」

「ほう」

「この男だ」

 ヤングはおれのほうを顎でしゃくった。


5月27日 カーク船長 〔未出〕

 おれはクリスに追い立てられるようにしてヤング邸を出た。

「おかしいよ。健康のために散歩に行って、アイスを買って帰ってきたなんておかしいだろ」

「ああ、でまかせだろ」

 クリスは唸るように言った。

「おかしくても、アハハでも、ヘタに刺激するな!」

「でも、やつがカシミールを」

「もし隠していたら、脅かせばカシミールに危険がおよぶし、隠していなかったら、おれたちはただの無礼者だ」

「無礼ぐらいなんだ。首が惜しいなら、ついてくるな!」

 クリスはうるさげに言った。「あれは関係ない」


5月28日 カーク船長 〔未出〕

 おれは彼を見返した。

「なぜ、わかる」

 クリスは鼻息をついた。

「あのやろうはよその犬に間男してるんだ。公園の隣に住んでるイタリア犬。その帰りだよ」

 おれはポカンとした。あら、そうなの。

「けしからんな」

「けしからんが、犬を一年も放っておく主人もけしからん。どっちもどっちさ。とにかく関係ないんだ」

 おれは唸った。とんだ肩透かしだ。
 カシミール誘拐の疑惑も薄くなった感じだ。間男しながら誘拐もするって、変だもんね。


5月29日 カーク船長 〔未出〕

 じゃ、やっぱり犯人はマフィア・ニコルソンだ。
 おしゃべりして、眠り薬の入ったお茶をすすめ、地下牢に押し込めたのだ。

 おれはクリスに言った。

「ニコルソンのドムスに行ったら、絶対に家捜しする。邪魔はするな」

 クリスは肩をすくめただけだった。ニコルソン家をたずねると、こわもてのドイツ犬が出てきた。

「こちらで少々お待ちください」

 問題のアトリウムに通された。
 カシミールが煙のように消えた場所だ。待つ間、クリスは室内を見て回った。

「第三者が忍びこめなくもないな」


5月30日 カーク船長 〔未出〕

 クリスは上を指した。

 アトリウムの天井に大きな四角い窓が開いている。
 これは古代人が雨水を受けるために開ける穴で、その下には落ちた雨水を貯める水槽がしつらえられている。

 現代はサンルーフが張られているが、道具さえあれば剥がすのは可能だ。

「足跡はないな」

 クリスは石造りの水槽を調べた。

「上を調べてみろ」

 スイッチでサンルーフを開けると、水槽の上に椅子を重ねる。おれは椅子の上に立ち、開口部をつかみ、身を振り上げた。
 屋根の上に顔を出し、むかいの光景にあ然と口を開いた。


5月31日 カーク船長 〔未出〕

 むかいの母屋のバルコニーに十字架が建てられている。
 そこに金髪の犬がくくりつけられ、ヒンヒン鳴いていた。

 彼の股間には、男の黒い頭が張りついている。十字架の後ろにも人がいるらしく、背中から二本の手が犬の胸を嬲っていた。

 金髪は昨日這っていた犬だ。人魚のような長い髪で顔は見えなかったが、ギャグでくぐもった悲鳴が、むかいの屋根にいるおれの耳までよく聞こえた。

(ひとを待たせておいて)

 おれはさすがにあきれて、屋根から引っ込んだ。足跡はなかったようにおもう。


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